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遺伝子

【体験談】祖先のルーツを旅して
~IT系自由人、マンモスハンターの軌跡を追う~

2020年02月06日 09時00分

あなたのルーツに思いを馳せてみませんか?(写真:Shutterstock.com)

 遺伝子から、はるか昔の祖先が日本に至る旅路を追う、MYCODE人気のパッケージ「ディスカバリー」。2019年、DeNAライフサイエンスの親会社であるDeNAの創業20周年特別企画として、MYCODEディスカバリーによって判明した祖先のルーツを実際にたどる旅への参加者を募集しました。

 このちょっと変わったプレゼントに当選したのは、MYCODE会員でIT系企業にお勤めの40代男性、ご本人曰く「自由人」のYさん。旅行が好きで、これまでに20か国以上を旅し、遺跡探訪や現地の人との交流を楽しんできたそう。そんなYさんも、祖先のルーツを追いかけての旅行は初めて!果たしてどんな旅になったのか?Yさんのコメントも交えて旅の様子をレポートします!


 約10万年前、現生人類(ホモ・サピエンス)はアフリカから世界各地へ、新しい住処を求める長い旅に出ました。現在、世界に77億人という人口を抱える人類も、大元はアフリカに発生した、たった数千人の集団だったと言われています。

 遠くアフリカから、人類が日本列島に到達したのは約4万年前と推測されており、現代の日本人のDNAには、6万年の時をかけて徐々に歩みを進めてきた人々の軌跡が刻まれているのです。

 日本人へとつながる人類のルーツは、遺伝情報ごとの系統「ハプログループ」に分類することができます。MYCODEディスカバリーでは、ヒトのミトコンドリアDNA配列を解析し、その人の祖先がどの道筋を通って日本に至ったのかをストーリー仕立てでお伝えしています。


 アフリカからペルシア半島を越えてはるか北のシベリアへ、あるいは紅海から海岸伝いに東南アジアへ、またあるいは幻の大陸から・・・?バリエーションに富む祖先の旅路を、ディスカバリーの検査結果画面で追体験した、という方もいらっしゃることでしょう。


ユーラシア大陸を横断し、最後はアメリカへ・・・「マンモスハンター」ハプログループAとは?

 今回、実際に祖先の旅路を追ってアフリカから日本までの長い旅に出ていただいたYさんのハプログループは「A」タイプ。アフリカ大陸から現在のスエズ湾を越えて中東エリアに入り、ユーラシア大陸を北上してシベリアへ向かい、最終的にはアメリカ大陸へと至った集団の中で、一部がアジアへと分派したグループです。

 アフリカを出た現生人類は食料を求めて各地に展開したという説が有力で、いずれも優秀なハンターだったと考えられますが、ハプログループAはそのハンターの特徴を受け継ぐグループ。マンモスなどの大型の哺乳類を追って大陸を北上し、寒冷地に適応したと推測されます。日本には比較的古い時代にやってきて、縄文人のルーツになったと考えられています。遺伝子研究が明らかにした人類の「偉大な旅路(グレート・ジャーニー)」と、ハプログループAの詳細に興味がある方は、こちらの記事もぜひ読んでみてくださいね。

日本人はどこから来たのか? ~MYCODEセミナー「ミトコンドリアDNAでたどる日本人のルーツ」【レポート】
【ディスカバリー】マンモスハンターの末裔!シベリアからやってきた日本人の祖先とは?

実際の旅程はエジプト~中東~ロシアを巡る旅に

 今回の旅程は、ハプログループAがたどったと思われるルートをベースに、Yさんの希望を加味して旅行会社が独自にプランニング。3か国3都市をリレーする形で、エジプトのカイロ~UAEのドバイ~モンゴルのウランバートルを訪ねることになりました。

 「遺伝子から自分の体のことが分かるなんて面白い!」というサイエンスへの好奇心から、MYCODEを受けたというYさん。ディスカバリーの結果を見て、かねてから「新しいことに積極的な自分の性格が、マンモスを追いかけてユーラシア大陸を横断した遠い祖先に由来するのでは」と考えていたそう。

 2019年12月、クリスマスシーズンに入る頃、エジプトを目指して成田空港を飛び立ったYさん。一体どんな旅になったのでしょうか?特別な旅で感じた「はるかな祖先」とのつながりは?

成田空港 第1ターミナル北ウィングにて(Yさんご提供)

Yさんコメント(以下、Yさん)「12月半ば、出発地の成田空港はクリスマスムード。ここから、祖先のルーツをたどる旅が始まります。冬休み前ということもあり、学生グループや外国人観光客の方が多く、デコレーションを背景に記念撮影をしていました。2週間におよぶ一人旅、不安がないとは言えませんが、クリスマス気分に乗って期待が高まります!」

人類の始まりの地、アフリカ大陸に到着・・・アフリカの東の出口に位置する都市「カイロ」

 約18時間のフライトを経て、現生人類の始まりの地・アフリカ大陸に降り立ったYさん。

 人類拡散の歴史と共に分岐して、今では世界各地に数多く存在するハプログループを逆にたどると、分岐がすべて集約されてアフリカ固有のハプログループL3に行きつきます。ミトコンドリアDNA解析が明らかにしたこの事実により、それまで遺跡や人骨などの物的証拠から類推されていたものの、異説も多かった「人類のアフリカ起源説」が立証された形になりました(詳しくはこちら)。

 一定の周期で氷期(氷河期)と間氷期を行ったり来たりする地球上で、現生人類を含む複数の人類種が居住していたと考えられる20~10万年前のアフリカは、氷期の影響を受けて熱帯よりは温帯に近く、豊かな植生と大型の哺乳類に恵まれた土地だったと推測されます。ここから約10万年前に、何かのきっかけで現生人類はアフリカの外への移住を目的とした長い旅に出たとされています。その出アフリカのきっかけが何だったのかは、未だ定説がなく謎のままです。

 今回、Yさんはアフリカ大陸の玄関口である「カイロ」を出発地に選ばれましたが、カイロを含む北東エジプト、紅海の根本地域は、人類の出アフリカの北ルートの出発点と考えられています。

カイロ国際空港到着ターミナルにて(Yさんご提供)

 現代のカイロ。私たちが飛行機で行き来する旅程を、はるか昔の祖先たちは徒歩で進み、居住地を移しながら何年もかけて移動しました。当時、この地から見知らぬ大陸へと踏み出す祖先たちは、どのような思いだったのでしょうか。

 ホモ・サピエンスの基本的な体の機能や知能は、誕生当時から現代に至るまでほとんど変わっていないと言われており、今、私たちが感じる郷愁の思いやまだ見ぬ未来への希望などを、はるかな祖先も感じていた可能性は高いのです。

ナイル川のほとりからカイロを臨む(Yさんご提供)

Yさん「世界最長の川、ナイル川。悠久の、という言葉がぴったりな広い流れを眺めていると、ふと歴史の授業で習った“エジプトはナイルの賜物”というヘロドトスのフレーズを思い出しました。都市の景観は時代とともに変わっても、この川の流れは昔のままなのでしょうか。はるかな先祖たちもこの川の流れを眺め、その恵みで日々の生活を営んでいたかもしれません。」

ギザのピラミッドにて(Yさんご提供)

Yさん「少しでも先祖の雰囲気を体験しようと、ベドウィン(アラブの遊牧民族)のラクダに乗せてもらって砂漠を散策。エジプト文明の最盛期に作られたこのギザのピラミッドは、ナイル川の氾濫時期にだけ、あふれた河水を運河に引き、対岸の山から切りだした巨石を運んで建設されたそうです。4500年前の技術力の高さに驚嘆の一言です!」

ハン・ハリーリ・バザールにて(Yさんご提供)

Yさん「オールドカイロのバザールは、細い路地が迷路のように入り組み、両側に宝飾品や土産物屋、喫茶店がすきまなく立ち並んで、まさにアラビアン・ナイトの世界。喫茶店で休憩していると、大人も子どももひっきりなしに何かを売り込みに来ます。現在のカイロの活気を感じることができました。」

紅海を越えて、ペルシアへ・・・最先端都市「ドバイ」

 3日間のカイロ滞在を終えて、Yさんが次に向かったのはUAE(アラブ首長国連邦)の「ドバイ」。経済・観光の両面で注目される最先端都市です。実は、出アフリカにはもう一つ、アフリカ大陸の中部から海峡を渡航してペルシア半島に至る南ルートがあり、北ルートに比べてアフリカ大陸内の移動距離が短く、地理的な条件が良かったと考えられるため、こちらを出アフリカルートの本命とする説が多いようです。

機上から眼下に紅海、スエズ運河が見える(Yさんご提供)

 南ルートはペルシア半島の南端を海岸に沿って移動し、ペルシア湾の南端からアジアへ入っていったと考えられるため、はるか未来にドバイと呼ばれる地を踏んだ祖先もいたかもしれません。今、この地のきらびやかさを彼らが見たなら・・・どのように感じるでしょう。

 なお、南ルートは紅海とペルシア湾を経由しますが、この2つの海も当時は氷期のため現在よりも海面は低く、渡航が必要な距離は今より短かったでしょう。気温も現代ほど厳しい暑さではなかったと思われますが、ユーラシア大陸の広大な地平をペルシア湾越しに遠望し、その乾いた風を感じることもあったのではないでしょうか。

ドバイ マリーナビーチにて(Yさんご提供)

Yさん「林立する高層ビルと、透き通るような青い海との対比が印象的なマリーナビーチ。海外からの観光客を集客するため、”世界一の〇〇”を積極開発中のドバイでは、世界最大の観覧車、世界最高のタワー、世界最大の空港・・・と世界一が目白押し。2020年には万博も控え、急成長中の都市の勢いを感じさせる風景です。でも、振り返ればアラビア海に沈む夕日がすぐそこに。あの美しさは忘れられません。」

世界一の高層ビル、ブルジュ・ハリファを臨む(Yさんご提供)

Yさん「こちらが“世界一高い高層ビル”ブルジュ・ハリファ。建設時にも話題になりましたが、ビル前の人工湖では世界最大級の噴水ショー、ビル本体にはきらびやかなプロジェクションマッピング・・・まさに、最先端都市ドバイが凝縮された空間です。」

オールド・ドバイのクリークを行くアブラ(渡し船)(Yさんご提供)

Yさん「ドバイ中心部を離れ、オールド・ドバイ(旧市街)地区へ。クリーク(入り江)で隔てられた2つの旧市街を、現地の人は今でもアブラ(渡し船)で往来しています。所要時間約5分で運賃は1ディルハム(約30円)、華やかなドバイ市街と同じ都市とは思えない和やかさ・・・かつてはここが、小さな漁村ドバイの中心地でした。のんびりした風景ですが、オイルマネーにより20年ほどであまりにも急速に変貌したドバイの歪みをどことなく感じてしまいました。」

一路、北へ。肥沃ながら厳しい寒さが待つユーラシア横断・・・平原の都市「ウランバートル」

 Yさんが最後に訪れたのは、モンゴルの首都「ウランバートル」。ドバイから飛行距離でも約6000km(航路によって前後します)、仮に徒歩だとしたら、なんと1400時間(1日8時間歩き通したとして半年)かかる、ユーラシア大陸北東の要衝の地です。

 ここから更に北上すると、現在のロシアとの国境を越えた先に現れるのが「バイカル湖」。この巨大な細長い湖の周辺には、出アフリカ後、大陸横断ルートで北上してきた祖先集団の一部が定着し、ハプログループAへの分岐が生まれたと考えられています。いわば、ハプログループAの故郷と言える地なのです。

モンゴル、ウランバートル郊外の雪原(Yさんご提供)

 およそ6万年をかけてユーラシア大陸を横断してきた祖先たちの旅。ヨーロッパへ分岐したグループや、南ルートから東南アジアへ入ったグループもいる中で、この大陸ルートをたどったグループは、ハプログループAの他にも中央アジアから東アジアにかけていくつかのハプログループを残しています。

 その道のりは、温暖なアフリカとは違う寒さとの戦いだったと推測されます。遮るもののない肥沃な平原に、マンモスやウマ、トナカイなど、大型・中型の哺乳類の群れが闊歩する狩猟場・・・そこは魅力的であると同時に、冬季には季節風が吹き抜け、昼夜の寒暖差が激しく、乾燥と凍結に悩まされる厳しい自然との戦いの場でした。ホモ・サピエンスの独創性が、骨の縫い針や矢尻といった細やかな道具や、骨を組み合わせた住居を生み出し、この過酷な地を生活の場に変えていったのです。

ウランバートル郊外のチンギス・ハーン騎馬像(Yさんご提供)

Yさん「ウランバートル郊外の平原は、冬はマイナス30度にも達する厳しい寒さにさらされます。これは、そんな雪原に突如現れるチンギス・ハーンの巨大な騎馬像。13世紀に有史以来世界最大の帝国を築いた帝王は、現在でもモンゴルの英雄なのですね。この台座部分はなんと博物館になっており、騎馬像の展望台からは果てしなく広がる雪原を一望できました。」

ウランバートル郊外、テレルジ国立公園近くのゲル(移動式住居)にて(Yさんご提供)

Yさん「地元モンゴル人夫婦の暮らすゲル(移動式住居)。木材の骨組みに防水布をかぶせたシンプルな構造ですが、中心にある伝統的な薪ストーブのおかげで中はとても暖かです。その一方、写真奥に見えるソーラーパネルで蓄電し、衛星テレビやスマホを使いこなすハイテクな一面も・・・」

テレルジ国立公園内のアリヤバル寺院を望む(Yさんご提供)

Yさん「広大なテレルジ国立公園の中を進んでいくと、徐々に切り立った岩山の姿が現れます。山間に見えるのは、チベット仏教の寺院・アリヤバル寺院。現地では瞑想の寺院といわれているパワースポットです。周囲には馬が放牧されていてのどかな雰囲気。山の中腹に位置する本堂から眺める絶景は素晴らしかったです。」

 バイカル湖周辺で発生した現在のハプログループAにつながる集団のうち主要なグループは、その後、更に北上を続けてシベリアに入った後、北極近くまで達し、当時は陸地だったと考えられるベーリング海峡を伝ってアメリカ大陸に至ります。ハプログループAは、ネイティブ・アメリカンの基層となった集団のうちの一つなのです。なお、日本人に残るハプログループAの遺伝子は、シベリアルートから別れた分派と考えられていますが、日本への流入ルートはまだはっきりしていません。

祖先のルーツを追いかけて・・・はるかな昔に思いを馳せる旅

 広い大陸を、獲物を追って北上し続けたハンターの系譜。その長い旅の一端を垣間見たYさん、どのような感想を持たれたのでしょうか?

成田空港到着ターミナルにて。無事帰国!(Yさんご提供)

Yさん「はるか西の彼方のカイロから、ユーラシア大陸を横切るように土地土地の風景を見てきた旅。日本への帰路、機窓から見えた深緑の木々や小さな住宅の集まりに、日本に帰ってきたことを実感しました。はるか昔に、大陸を横断する旅の果てに日本にたどり着いた祖先たちがいて、今、ここには、この風景を世界のどこにもない日本だけの風景だと感じる自分がいる。なんだか不思議な感覚ですが、貴重な体験をさせていただきました!」

 はるか祖先をたどる旅のレポート、いかがでしたか。私たちの祖先は数万年もの時をかけて今の場所に移動し、文明を作り上げたと考えられています。我々人類が歩んできた歴史の中でも、文字などで記録に残っているのはほんの一部。いわゆる先史時代と呼ばれている時間の方が、文明の発生から現代に至る歴史よりずっと長いのです。

 ハプログループに関する研究は今も進んでおり、今後も新しい事実、新しい学説が登場する可能性も高い分野です。実際、現生人類がアフリカ大陸のどこで誕生したのかということは分かっていなかったのですが、昨年11月に、現在のボツワナ共和国だとする研究結果が発表されました(※1)。

 今回は、ハプログループAに属するYさんの旅の様子をご紹介しましたが、MYCODEディスカバリーでは、日本人に多いとされる10のハプログループについてお調べしています。どんな生活をしていたのか?どんなことを感じていたのか?はるかな祖先の時代への興味を掻き立てるMYCODEディスカバリー、ご興味のある方は、この機会にぜひお試しください。

参考文献
※1. Chan EKF, Human origins in a southern African palaeo-wetland and first migrations., Nature.
※2. 海部陽介, 日本人はどこから来たのか?, 文藝春秋
※3. 海部陽介, 人類がたどってきた道 “文化の多様化"の起源を探る, NHK出版
※4. 篠田謙一, 新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造, NHK出版


※文中の、現生人類が誕生した時期、出アフリカの時期、あるいは各地域の当時の気候等には諸説あります。

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